虹のしおり

最近はラブライブ!を起点とした舞台やお台場について扱うブログです。各種コラボの記録を残したり。サークル「さむらい工房」の告知ページを兼ねてます。

廃橋のようで長らく生きていた青海橋の歴史

2022.02.05 タイトルを現状にあわせて変更(旧「廃橋のようで生きている青海橋の歴史」)
2021.07.25 「現在の青海橋」へ撤去に向けた近況を追記
 青海橋(あおみばし)は東京臨海副都心の青海と有明を隔てる有明西運河を跨ぐ歩道橋・道路橋です。橋の両端に繋がる道路がなく手入れも乏しい風貌から都心の廃橋とも呼ばれ、隠れた撮影スポットとなっています。

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 2019年頃までは供用されていないだけの現役の橋でして、その奇妙な有り様に面白いと思って歴史を調べていました。ただ、ここ数年は臨海副都心を舞台にお台場の隅々まで登場する『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の舞台まとめに忙しく調べを進められそうにないため、今回の記事は調べ途中のことを整理すべくざっくり書き出してみたものです。

現在の青海橋

 普段は地域住民・勤務者向けに平日の昼のみ開放されています。しかし現在はオリンピック終了まで関連工事との兼ね合いもあり閉鎖が続いています。
その後2021年に入り撤去に向けたと考えられる詳細設計の発注予定が公表されています。有明側のG1,H区画の進出事業者決定、パレットタウン(青海ST区画)の再開発着手に続き、夢の大橋周辺の大きな動きが始まるなかで青海橋も転換点を迎えようとしているのかもしれません。

風景

有明側の入口は水の広場公園(東地区)と地続き。

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青海側は水の広場公園(西地区)に隣接。

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青海側の終端部にはスロープが設けられていますが、もともと人通りの全く無い場所に植物がうっそうと生い茂る雰囲気から廃墟感を醸しています。

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東京都水の科学館からは青海橋が良く見えます。 f:id:zacharylion:20200924105815j:plain

地図上の扱い

 国土地理院の地図を引用すると、青海橋の両端は道路へ接続している様子が見て取れます。

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有明側の点線は「庭園路」と呼ばれ、国土地理院のホームページによれば「庭園路は、公園、住宅地などで自動車の通行を規制している道路や工場の中などで一般の自動車が通れない道路」を指します。通行規制の理由は、橋の両端が「水の広場公園」の敷地にあたるからでしょうか。

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この辺りは工事が続いて現在は通り抜けできなさそうです。よってまた事情は変わっているような感じがします。面白いことに水の科学館前の駐車場エリアは青海橋へ続いていた道路と幅が似ています。 ここでは折角なので青海橋フォトセッション(色んな角度の写真をぺたぺた)しときます。

パレットタウン大観覧車より f:id:zacharylion:20220128095500j:plain f:id:zacharylion:20220128095531j:plain 夢の大橋より f:id:zacharylion:20200924094743j:plain 水の広場公園(西地区)より f:id:zacharylion:20200924095523j:plain f:id:zacharylion:20200924095628j:plain 水上バスより f:id:zacharylion:20200924095606j:plain 水の広場公園(東地区)より f:id:zacharylion:20200924095702j:plain

簡単な歴史のまとめ

 橋梁年鑑によると、青海橋は1986年完工と記載されています。

www.jasbc.or.jp

  • 東京都の第四次港湾改定計画(1981年)に基づいた道路として整備される
  • 1985年に青海を中心とした東京テレポート構想が発表。数年で臨海副都心開発へ発展すると共に現在の雛形になる新たな道路・区画利用計画が作成
  • 1987年3月に青海橋が開通し、1991年の供用開始まで工事用道路として使用
  • 1989年に臨海副都心開発 始動期の開発着手
  • 1991年から1994年にかけては青海橋を一般道として供用
  • 1992年あけみ橋完工
  • 1994年10月 夢の大橋(仮称シンボルプロムナード橋)開通
  • 1995年5月 世界都市博覧会(東京フロンティア)開催中止
  • 1997年の臨海副都心まちづくり推進計画に関連し、暫定活用として歩道を限定開放
  • 2020年の東京オリンピック関連工事で限定開放を中止中

青海橋が完工する前年には江東区青海を中心とした東京テレポート構想が打ち出され、約2年で台場・青海・有明に跨がる臨海部副都心の開発計画へと拡大。そして1989年より開発事業が開始されます。この橋を使わなくなった背景には、青海橋敷設計画時になかった街づくりの流れを受け、周辺開発や区画整理との兼ね合いから両端の道路が邪魔となり供用終了後に道路を撤去。橋の役目はあけみ橋と夢の大橋へ明け渡されてるように見えます。
ある意味で青海橋は生まれたタイミングが悪い橋と呼べるかもしれません。ただ、現在の臨海副都心の交通量を踏まえると残っていたところで一車線の橋ではいずれにしてもボトルネックになっていたように見えます。青海橋は供用終了後に撤去が検討されましたが、埋立地に敷設する為に杭を深く打ち込んでおり、50億円近くかかることから見送られています。ちなみに臨海副都心とその周辺には青海橋よりも古い有明橋・新都橋・有明ふ頭橋が現役バリバリで供用されています。

青海橋の歴史の材料

 一本道で描けてないものを時系列でざくざく書いておきます。
現在でこそ南側には夢の大橋とあけみ橋がありますが、青海橋が建設された当時この橋が海岸線沿いに位置してました。先の写真でも写り込んでいた橋の隣にある赤い線は1979年に敷設された有明(水道)専用橋です。有明専用橋建設直後と思しき空中写真はこちら。

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早速脱線しますが、臨海副都心開発後多くのエリアでは水道が地下の共同溝を介して供給されています。夢の大橋の地下を通る共同溝が共同溝展示館(※現閉鎖中)で間近に見ることができました。それらを踏まえるとこの橋の水道はどう使われているのか気になります。また、この時13号地の埋立から10年弱程度しか経過していません。右上に見える東雲ゴルフ場は戦前に埋め立てられた第十号埋立地のため13号地・10号地その1と比べ整備された緑が広がっています。初めて住所として有明(有明深川町)が誕生したのは1960年代だったことから、52年開業のこのゴルフ場は東雲の名を冠しています。

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1989年の航空写真より

話を戻しまして、青海橋が敷設された時期と前後して周辺ではレインボーブリッジ建設とそこに繋がる数々の道路整備、ならびに東京臨海副都心の開発計画が本格化していきます。その一環で小舟溜まりと呼ばれていた現在パレットタウンの一帯の埋立も決まります。臨海副都心開発は1989年に開始され、1991年から1993年にかけて青海側の海岸線が南下しました。当時の写真からは砂埃の舞いそうな土地で大規模開発が進む様子が見て取れます。

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1992年の航空写真より

1986年頃に作成された臨海部副都心(※名称が決まる前の呼称)開発に関わる道路整備資料を見ると、青海橋の青海側にはレインボーブリッジへの渋滞回避として湾岸道路をくぐって南下する道路が計画されます。後の青海・有明南連絡線とあけみ橋もここで描かれており、この時点で青海橋に繋がる道路は消えていることがわかります。

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青海橋の南にある2つの橋のうち、夢の大橋は1994年10月に開通しています。またの名をシンボルプロムナード橋やドリームブリッジと呼びます。 普段は歩道橋ですが、災害時などには緊急車両の通行が可能になっています。青海橋はこの橋の供用開始と同じ年に供用を終了しました。

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もうひとつのあけみ橋は橋梁年鑑によると1992年に完工としたと書かれています。

www.jasbc.or.jp

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青海側より
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有明側より

先の航空写真からも埋立と並行して道路より先に橋が架かっている様子が見て取れます。どちらの橋も青海橋の供用が終わる前に完成しており、青海橋は車道・歩道共に役目を終えてから供用を終えているように見えます。当初青海橋を撤去する考えもあったようですが、元々弱い地盤へ敷設したため撤去費用が50億円近くになるとされ、その後の臨海副都心開発の仕切り直しでも暫定的に活用するとして歩道の開放が始まりました。
1997年の航空写真では、始動期の開発を終え街びらきから1年ほど経過した臨海副都心と青海橋が映っています。東京テレポート駅が作られた青海側の道路は姿を消していますが、有明側はまだ道路が残っています。隣接する建物は97年開業の水の科学館です。

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1997年の航空写真より

世界都市博覧会と青海橋

 1996年に街びらきとして開催予定だった世界都市博覧会(東京フロンティア)では、青海橋が駐車場へ繋ぐ道路として転用されているイラストがあります。臨海副都心の道路計画とは違うので若干怪しいところもありますが、何かしらで利用される予定だったのかもしれません。

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おわりに

 調べ尽くしたからはほど遠いですが、少しずつ調べていた青海橋についてざくっと書いてみました。
このブログの「臨海副都心小ネタ」タグには似たような話を追加してます。興味あれば覗いてみてください👀

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あと、臨海副都心を調べるきっかけになった『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』は、お台場の様々な場所を舞台に奮闘する姿を通して自分も新しいことやってみるかぁと背中を押してくれる素晴らしい作品です。良かったら見てみてください(これはダイマ)。そのオープニングでは青海橋の横も1カット登場します。

www.youtube.com

蛇足:お台場の造ったけど使われてないシリーズ

 造ったけど使われてないものは他にもあります。都市開発の難しさを窺わせますね。他にもあれば知りたいところ...。

青海南ふ頭公園地下駐車場

稀にイベント会場として使用される以外は閉鎖されています。

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東京ビッグサイト メディアタワー

世界都市博覧会の足として1995年4月より青海・有明間約1.2km(定員12名)のゴンドラリフトが着工したものの、5月30日に都市博が中止に。ビッグサイト前に造られた支柱はメディアタワーとして形を変え残っています。 f:id:zacharylion:20200924104537j:plainf:id:zacharylion:20200924103705p:plain

面白いことに、東京都が進める「東京ベイエリアビジョン」では臨海部でロープウェイを使った移動が再び話に出てたりします。

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